自己紹介 前編|大垣市の歯医者|荒尾歯科医院

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自己紹介 前編

こんにちは。荒尾歯科医院の院長の林です。
ホームページをリニューアルして初めましての方もいらっしゃると思うので自己紹介をさせてもらいます。
<誕生〜幼少期>
私は1979年11月に歯科医師の父と専業主婦の母のもと山田家の長女として誕生しました。
両親、そして道を挟んで向かいに住んでいた祖父母からの寵愛を受けてスクスクと育ちました。保育園に入るまでの毎日のお散歩は祖父母だったので、44歳になった今でもその頃から知っている患者さんには「大きくなったね」と言われています。転ばぬ先の杖とはよく言ったもので、何をするのも両親や祖父母が先にやってしまうし危ない事は一切やらずに育てられたので怪我ひとつなく成長しました。
そんな私の人生に1回目の転機が起きたのは4歳の誕生日を迎える1ヶ月前のことでした。山田家待望の男子である弟の誕生です。40年前の田舎では当たり前に跡取りとしての男子が望まれていましたし、母は産まれてきた子が男の子かどうか最初に確認しちゃったのよと言っていたくらいなので長男の嫁としてのプッレッシャーを感じながらの出産だったのだろうと思うとそんなこと気にせず出産や結婚を選択できる今の時代でよかったなとつくづく思っちゃいます。弟の誕生によって私の溺愛されていた地位が脅かされると思いきやただただ甘やかされる人生は続き何もできない、引っ込み思案で大人しい子が出来上がっていったのでした。
<小学校時代>
小学校に上がるようになったくらいから少しずつ自分が何もできない事に気づき始めたのです。今でも覚えているのは、リカちゃん人形で遊んでいた時のことでした。いつも遊んで出しっぱなしにしていても人形やお洋服をちゃんと母が片付けてくれていたのでその日も当たり前のようにしていたら友達がお洋服をキレイに畳んでいて小物もちゃんと収納していて、何もできない正確には何もしない私に「自分で遊んだものくらい自分で片付けないとダメだよ」と一言ピシャリ。だめだ、ダメ女として育ってしまっている。気づきはあったものの母はこの頃から勉強さえしていればお手伝いなんてやらなくていいし勉強以外のことはする必要がないという育て方をしていたので結局上履きさえ一度も洗うことなく小中学生時代を過ごしてしまうのです。
そして小学4年生の夏休み2回目の転機が訪れるのです。母から突然「あなたは特別美人で見ないし何か才能があるわけではないから勉強して手に職をつけるといいよ」と言われたのです。それが中学受験への始まりになるのでした。                                      next